なかなかディープでした。
山田詠美の対談集『顰蹙文学カフェ』で知って読んでみたのよ。顰蹙文学カフェは、随分前に買って読んで、そのなかからは一つも読んでなくて(対談相手の高橋源一郎の作品すらまだ読んでない)、何年か経ってほじくり出してパラパラめくって、この人けっこうやばそうだなと思って読んでみた。
うほほ、久しぶりにきたな、このディープでナローでドメスティック・マイクロコスモスエクストリームなリアル小説。
自分の乏しい読書歴からすると、中上健次と西村賢太を思い出した次第でありんす。
中上健次につきましては、そのおそらく作者が出身した地域の特徴的な特色がもわもわと雰囲気を醸し出しているところが、同じ系統だなと。読んでいて非常に狭い世界に引きずり込まれる感覚になります。村のような、一族だったり、家だったり。
アラウンド・ザ・トーキョーで暮らしてきた人々にとって、未体験だけれども何かそういう世界があるって知ってて、田舎暮らしって憧れるけど怖いよねっていう誰もがうっすらもっている感覚の怖いよねの部分の真髄の一滴の香りを嗅いだような。
想像だけど、中上健次も車谷長吉も東京を知っているからそれを書けたのではないか。
西村賢太につきましては、「これ絶対、実体験でしょ!実在する人物でしょ!」と思わずにはいられない体験や人物が繰り返し、登場することで思い出させられました。塩壺の匙は短編集なのだけど、何度も出てくるわけ、そういうキャラとか舞台設定が。そういう繰り返し感と、内容のどろどろ具合がね、なんだか西村賢太を思い出しました。
ただ、イメージとしては、中上健次みたいな世界観の方がつよい。題名を忘れたけどトモノオジっていう登場人物が出てくる作品とか、ね。
まあ、ともかく面白かったです。他のも読んでみたいです。(ただ、この一冊だけでいいんじゃないかっていう匂いもしなくもない。またそれを確かめる意味でも他の作品を読んで見るのは面白いかもしれない。)曼荼羅が表紙になっている『金輪際』というものが気になるね。でも、どうだろうね。
文庫本だと、曼荼羅じゃなくなっている。なんだろうこの蛙は。
あと、 昨年出たという、車谷長吉の奥様が書いたエッセイ。奥様の高橋順子さんは、詩人らしい。インタビュー記事がありんす(ありんすって芸者さんの語尾だよね)
作家・車谷長吉を支えた妻が振り返る「結婚生活は修行のようでした」 | 文春オンライン
本は、こちら。